愛知県は半田市
新美南吉記念館へ行きました。
小学校4年生の国語の教科書に長く掲載され続けている「ごんぎつね」の作者です。
写真はミュージアムショップの袋と、黄ごん芋(まるはつ製菓本舗)というお菓子です。これ、きごんってなに?って思ったけど黄金ですね!おうごん。平仮名混ざると急に読めないです。。
このミュージアム、子どもの頃から数えて4回目くらい。
さて、彼はどんな生き方だったのか。
生後間も無く亡くなった兄の名(正八)を授かる→幼少期母亡くなる→継母、異母弟生まれる→祖母の養子になるが親もとに戻される→小学校で1番の成績→今の半田高校(知多半島No.1の公立高校で2番の成績)→バイト→東京外語大(英文。当時倍率11倍超)→東京時代から結核を患い、以後病を抱え職を転々としながら創作活動→死後に作品が高く評価された
地元の女性と東京時代含め4年付き合うも、彼女は他家へ嫁ぐ。同僚教師の恋人と関係をしっかり清算する前に、東京時代から親交があった中山さま(ごんぎつねに出てくるお殿様)の子孫の女医と関係し、結婚意識するも女医は急死。その後女子校教師の彼は教え子に好意を抱いて。結局、誰とも結婚せず、昭和17年、結核により29歳で亡くなります。
女性遍歴含めさまざまな記録が日記や手紙で詳らかに。有名って大変だなぁ。
無意識のうちに満たされない場所を選んで、もがき続けた人。
ごんを失ってはじめて愛に気づいた人。
ごんの贈り物を、ごんのネガティブな面を含めて受け入れて、愛を返すことが叶わなかった人。
生と死の狭間に立ち、書くことで内面を整えていった人。
ごんぎつねは17歳のときの作品とのことです。